子どもが孤独でいる時間

久しぶりの本のご紹介です。(1988年・作エリーズ・ホールディング 訳松岡享子)
時々教室でじっと固まっている子がいる。ぼんやりしている子がいる。そういう子達をみていると以前は歯がゆくて胸が騒いだ。早く描き始めてくれればいいのに。「ほら、こんな方法もあるわよ」「ほら、こんな考え方もあるわよ」なんとか描き始めないかといろいろな声かけをした。でも、これは違うんじゃないかと、彼らはじっと自分の考えが出てくるのを無意識にでも待っているのではないかと、いつからか思い始めた。中には声をかける必要な子もいるのだが。

自分の子どものころを思い浮かべても、せかされたり、静かな時間に土足で入ってこられると苛立った記憶がある。こちらの焦りからこども達の考える時間を奪っているのではないかと。その時間にこそ、いえ、大人もそうでしょう、大切なことが一杯つまっているのではないかと。じっと待っていると必ず子どもは何らかの形で反応してくる。出てくるものは見かけ貧弱かもしれない。だがそこを大切にしその積み重ねこそ、子ども達が情報や社会的価値に翻弄されなく、自分で立ち上がってくるしなやかな力を培うのではと。つまづいた時、ひとつの見方だけではなく、いろいろな方向から物事を見つめ乗り越えていけるのではと。そんな思いに駆られていた時出会ったのがこの一冊。著者は書く。
「人間を社会化された動物とみなす見方は、学問の上では成果を生みました。が、その一方で、人間の内部で起こっていることに同等の注意を払わなければ、この考え方はわたしたちを袋小路に向かわせるでしょう。いえ、わたしは、さらに一歩つきすすんでこう申し上げたいのです。もし人間がそのための時間をとり、孤独の中に身を置いて、自分の内側でなにが起こるかをゆるさなければ、人間は、必ず精神的に行きづまってしまうだろう、と。子どもでも、おとなでも、たえまなく刺激に身をさらし、外側の世界に反応することに多大なエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる想像力、あるいは創造性の成長を阻止し、萎縮させるだろう」
孤独な時間の豊かさを著者は平易なことばで書く。今読んでも少しも古さを感じさせない。現代失われつつ大切な時間をこの本の中に見る。是非、ご一読を。