嬉しい話

今までずっと寡黙だったA君が、この頃よく話す。
「あのね、僕、5年生から6年生までものすごいいじめにあってたの」
ある日突然話してくれた。
たぶん、そうじゃないかと感じていたのだが。
「それでね、テレビのドラマとか、そんなもんじゃないの、もっとすごいんだ」
「たとえば」
「うーん、うまく言えないけれど」
「学校とか、休んでた?」
 ちょっとうつむいたが、
「行った。耳をふさぎ目をふさぎ。でもね、その頃すごく本読んだ、それに哲学的なことも考えた」
「どんな本だろう?」
重松清きよしことかナイフとか。すごく気持ちがわかって。先生、読んだ?」
「読んだよ」
 嬉しそうにするA君。
「それでね、今思うと、だから今の僕があるって思うから、そいつらのこと、もう恨んでない」
 彼は中学2年生。それまでどれだけの涙を流し、悔しい思いをしたかと思いを馳せた。
 だが、何か吹っ切れたように、さわやかな顔をして話してくれる今日この頃のA君。
 それに呼応するように今まで休みがちだったが、教室によくやって来る。
「こんな表現がしたいんだ」
 じっとキャンバスの前に立つ。
 その姿が頼もしくもあり嬉しい。
 
 私の教室の一つに、障害を持つ子とそうではない子が半々在籍するクラスがある。
 いつの間にか出来上がったクラスだ。
 年齢も小学1年生から22歳まで。ものすごい楽しい自慢のクラスである。
 そのクラスに、ここ二回ほどA君が参加した。
「すごいね、このクラス、上下関係もなくみんなが、ありのまま自分を発揮してるみたいで」
「えっ、そんな風に見える?」
「うん。すごく面白いし、いいって思う」
 彼は力強くうなずいた。
 嬉しかった、ものすごく嬉しかった。
 
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